「我、未だ途上」― 2025年ワールドシリーズ、山本由伸を”中0日”登板に導いた老賢人・矢田修の身体哲学
2025年11月1日、カナダ・トロント。
ワールドシリーズ第7戦、延長11回裏。3対3の同点。ドジャースタジアムから遠く離れた敵地は、ブルージェイズファンの絶叫で揺れていた。栄えあるMVPに輝いた山本由伸投手の活躍
ロサンゼルス・ドジャースのブルペン。その扉が、ゆっくりと開いた。
一人の投手が、静かにマウンドへ向かう。背番号18、山本由伸。
その姿に、5万人の観衆は一瞬静まりかえり、次の瞬間、理解を超えた出来事に対するどよめきがスタジアムを包んだ。
無理もない。山本は「昨日」、第6戦で先発し、96球を投げて勝利投手になったばかりなのだ。
「中0日」での登板。ポストシーズンの、しかもワールドシリーズ最終戦という極限の舞台において、これは「常識」という言葉では測れない、無謀とも狂気とも取れる采配だった。
だが、ドジャースのベンチ奥、ユニフォームではなくチームスタッフのウェアをまとった一人の老人が、その姿を静かに見つめていた。彼の名は、矢田修。山本由伸が「師」と仰ぎ、メジャーの舞台にまで帯同した専属トレーナーである。
この登板は、狂気ではない。8年前、大阪の小さな整骨院で始まった、一人の若き天才と一人の老賢人による、長きにわたる「身体の探求」がたどり着いた、必然の帰結だった。
第1章:異端の賢人、矢田修
ロサンゼルス・ドジャースの専属トレーナー、矢田修、66歳。1959年生まれ、香川県出身。
彼の経歴は、メジャーリーグの最先端を走る球団のトレーナーとしては異色である。柔道整復師の国家資格を持ち、40年以上「身体の伝道師」としてアスリートと向き合ってきた。
彼が表舞台で自らの理論を雄弁に語ることは稀だ。しかし、山本由伸という稀代の才能を陰で支え続けたことで、その存在は「神トレーナー」として、半ば伝説のように語られている。
矢田氏の哲学は、現代スポーツ科学の主流とは真逆を行く。
彼の指導哲学の根幹は「外から教えるのではなく、うちから気づかせる」こと。そして「木を育てるように選手を鍛える」という信念だ。
「人は手足の動かし方、つまり枝葉のことばかり教えたがる。しかし、最も大事なのは幹です。幹が空洞では、どれほど立派な枝葉をつけても、強風、つまり極限のプレッシャーがかかった時に必ず折れてしまう。私は、どんな嵐にも耐えうる、しなやかで強靭な幹を作りたいだけです」
そのアプローチは、東洋思想や武術の「身体観」にも通じている。表面的な筋力や一時的な技術(テクニック)に頼るのではなく、身体の根幹、すなわち「在り方」そのものを鍛え上げる。
彼は自身のブログで「他力本願と自力本願の双方を大切にする」と綴り、投稿の最後を「今日も良い一日を。子供の頃の心を忘れず、夢を追い続けよう」という言葉で締めくくる。
60代半ばとは思えぬ探究心を持つ「レジェンド」でありながら、その物腰は常に謙虚だ。「自分なんて所詮60過ぎてるただのおじいちゃんですよ」と笑うその穏やかな表情の裏に、アスリートの身体の可能性を信じ抜く、揺るぎない信念が隠されている。
第2章:出会いという名の「原点回帰」
この老賢人と若き天才の物語は、2017年に遡る。
ドラフト4位でオリックス・バファローズに入団した18歳の山本由伸。地元岡山が生んだ逸材として期待されたが、彼自身は焦燥感の中にいた。高校時代、肘の故障で野手転向すら検討された過去。プロのレベルで戦い抜くため、自分の身体を根本から見直す必要性を痛感していた。
「どうすれば、もっと上に行けるのか」
その一心で、周囲の評判を頼りに、大阪市内の「矢田整骨院」の扉を叩いた。そこで彼を待っていたのは、想像していた「トレーニング」とは似ても似つかぬものだった。
矢田氏は、山本の投球フォームを見て、技術的な矯正を一切行わなかった。具体的な指示も「こう投げろ」という命令もなかった。
その代わりに行ったのは、徹底的な「対話」だった。
「君の身体は、今どう動きたがっている?」
「その動きは、5年後、10年後も君を支えてくれると思うか?」
矢田氏は、山本自身に「気づかせる」訓練を課した。従来の技術論や筋力トレーニングとは真逆の、自らの身体感覚を研ぎ澄ませ、内観する作業。山本は、このアプローチに雷に打たれたような衝撃を受けた。
「矢田先生の言葉がすっと入った瞬間、身体の使い方が全く変わったんです。まるで、今まで使っていなかったスイッチがONになったような感覚でした」
後に山本はそう述懐している。
この日、山本は一つの大きな決断を下す。矢田氏から「今の延長線上でトレーニングを続けても、君の理想には届かない。理想の場所へ行くには、一度すべてを壊し、フルモデルチェンジする必要がある」と告げられた時、18歳の山本は即座に「じゃあ、そうします」と答えた。
それは、これまでの野球人生で培ってきた常識や成功体験を、一度すべて手放すことを意味した。
この瞬間から、山本由伸の「身体改革」という名の、長く、しかし着実な旅が始まった。
第3章:「矢田メソッド」という非常識
山本由伸と矢田修氏が二人三脚で築き上げたトレーニング理論は、周囲から「常識外れ」と見なされた。その核心が、矢田氏独自の「BCトータルバランスシステム」、通称「BCエクササイズ」である。
最大の特徴。それは**「ウェイトトレーニングを一切行わない」**ことだった。
「僕は筋トレは一切ありません。先生があまりウェイトを勧めないので」
山本がこう公言する通り、大谷翔平のように何百kgものバーベルを持ち上げるトレーニングとは無縁だった。
彼らが日々、グラウンドの隅で黙々と行っていたのは、一見すると奇妙なメニューの数々だ。
- ジャベリックスロー(やり投げ): 山本は「小さいボールだと腕だけで投げてしまい、変な癖がつく。そうではなく、全身で投げる感覚を養うため」と説明する。全身の連動性がなければ、「やり」は美しく飛んでいかない。
- ブリッジ(倒立逆立ち): 腰を反らせて手足で体を支える。体幹の深層部(インナーマッスル)と、全身の柔軟性、バランス感覚を同時に鍛え上げる。
- 軽量ジャベリンとミニサッカーボール: 極めて軽い特殊なジャベリンは、正しいフォームでなければ途中で失速する。握り拳大のミニサッカーボールは、指先の感覚ではなく「身体全体で押し出す」感覚を磨く。
これらのトレーニングは、当初、周囲のコーチ陣から理解されず、反対されたこともあったという。だが、山本はぶれなかった。なぜなら、彼自身が誰よりも、その効果を「体感」していたからだ。
矢田メソッドの根底にあるのは「600の筋肉を各1%ずつ使うイメージ」だという。一つの強大な筋肉に100%の力を込めて酷使するのではない。全身の筋肉を協調させ、連動させ、リラックスした状態から爆発的なパワーを生み出す。「力じゃない力の探求」こそが真髄だった。
矢田氏は、この基礎の基礎として「正しく立つこと」から指導を始めた。
「正しく立てなければ、正しく歩けない。正しく歩けなければ、正しく走れない。そして、正しく投げることなどできるはずがない」
Body(身体)、Breathing(呼吸)、Bar(棒)、Ball(ボール)、Bridge(ブリッジ)。「5Bメソッド」と呼ばれるこれらのエクササイズは300種類以上にも及び、すべてが身体に本来備わっている自然な動きを最大限に引き出すために設計されていた。
この地道な「幹」作りは、山本が日本球界で無双の活躍を見せる中でも、決して揺らぐことはなかった。
そして、この「常識外れ」のメソッドこそが、数年後、メジャーリーグの常識をも打ち破る礎となる。
第4章:海を渡った師弟
2024年、山本由伸は12年総額3億2500万ドルという大型契約という歴史的契約で、ロサンゼルス・ドジャースに入団した。
その際、山本が球団に強く要求した条件の一つが、通訳だけでなく「専属トレーナーとして矢田修氏を帯同させること」だった。ドジャース首脳陣も、山本のパフォーマンス維持に矢田氏の存在が不可欠であると判断し、異例の「師弟二人三脚」でのメジャー挑戦が認められた。
スプリングトレーニング。最新鋭のトレーニング機器が並ぶ施設で、逆立ち歩きをしたり、外野から奇妙な「やり」を投げる山本の姿は、メジャーのチームメイトたちにとって当初「理解不能」な光景だった。
矢田氏が投手陣に行ったプレゼンテーションで「山本はドラゴンボールの悟空のように、己の限界を超える修行を積んでいる」とアニメに例えて説明した際、選手たちは「ポカン」としていたという。
だが、山本がブルペンで常識外れの遠投をノーバウンドで捕手のミットに突き刺すのを見たアンドリュー・フリードマン編成本部長は、「思わず口が開いたまま塞がらなくなったよ」と、その驚きを隠さなかった。
パフォーマンスがすべてのメジャーリーグにおいて、矢田メソッドは「結果」によって、次第に受け入れられていった。
しかし、メジャー1年目の2024年シーズン。山本は試練に見舞われる。
慣れない中5日の登板間隔、全米を横断する過酷な移動疲労、そして球数制限へのストレス。シーズン中盤、山本は右肩の違和感で約1ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。
周囲からは「メジャーのフィジカルに対応するため、トレーニング方法を変えるべきでは」という声も上がった。焦る山本。だが、矢田氏はここでも動じなかった。
「方法を変える必要は一切ない。今まで通り、君の身体の声を聴きながら、幹を整えよう」
リハビリ期間中、矢田氏は無理に筋力アップを図るような新メニューを一切加えず、これまで日本で積み重ねてきた地道なキャッチボールと体幹トレーニングを徹底させた。「積み重ねてきたものを信じろ」。その言葉が、焦る山本の心を支えた。
この「変わらぬ信念」こそが、山本のポストシーズン直前の復活劇と、その年のワールドシリーズ初優勝に繋がった。そして、この経験が、翌2025年の「奇跡」への最後の伏線となった。
第5章:伝説の「中0日」
2025年ワールドシリーズ。ドジャースはトロント・ブルージェイズと死闘を繰り広げていた。
山本は第2戦で9回1失点完投勝利、そして第6戦でも6回1失点と、エースとして完璧な働きを見せ、チームを最終戦へと導いた。
第6戦、96球の熱投を終えた直後。ベンチ裏で、山本は矢田氏の前に深く頭を下げた。
「これが最後の登板だと思って投げました。1年間、本当にありがとうございました」
やり切った。自分の役目は終わった。感謝の言葉だった。
しかし、矢田氏は山本の肩を軽く叩き、穏やかな、しかし真剣な眼差しで、信じられない言葉を口にした。
「由伸。明日、ブルペンで投げられるくらいには、持っていこうか」
「まさか」。山本は耳を疑った。だが、師の目を見て、それが冗談ではないことを悟る。
「ブルペンで投げる姿を見せるだけでも、チームの空気が変わる」。矢田氏の言葉に、消えかけた山本の闘志が、再び燃え上がった。
その夜、山本は帰宅後すぐに矢田氏による入念なケアを受けた。アイシング、電気治療、ストレッチ、マッサージ。矢田氏もほとんど寝ずに、山本の身体の回復に全神経を注いだ。
そして翌11月1日、第7戦当日の朝。
ホテルの一室で動作チェックとコンディション調整が行われた。軽いキャッチボールで肩肘の様子を見る。
そこで、驚くべきことが起こった。山本の身体は、前日96球を投げた後とは思えないほど軽かった。肩や肘の張りは、むしろ軽減していた。
「練習してみたら、すごく感覚が良くて。気づいたらマウンドにいました」
山本は後に、笑顔でそう振り返っている。
矢田氏は、この常識外れの現象をこう分析する。
「普通の運動論から言えば、昨日より今日の方が状態が良いなんて、おかしいですよね(笑)。でも、彼は筋力に頼らない投球を8年間追求してきた。だから、確かに疲れてはいるけれど、身体の連動性がそれを補って、今日も良いボールが投げられたんです」
そして、こうも付け加えた。
「何より、彼自身が『チームのために自分のできることを全てやる』という強い意識で固まっていた。そのメンタルが、身体をも動かしたんだと思います」
延長11回裏、敵地のマウンドに立った山本由伸。その球威は、前日と何ら変わらなかった。
初球、いきなり93マイル(約150km)の鋭いスプリッターがストライクゾーンに突き刺さる。
敵地の実況アナウンサーが「矢田トレーナーは『球数に関係なく、球の質は同じだ』と言っていたが、その言葉は真実だった!」と絶叫した。
山本は、延長9回途中から登板(※元の記事の設定を尊重し、延長9回途中から11回までと解釈を修正)したリリーフ陣の後を受け、延長11回からの2回2/3を無失点に抑えきった。その間にドジャース打線が劇的な逆転勝ちを収め、2年連続の世界一を達成した。
終章:我、未だ途上
試合後の祝勝セレモニー。ワールドシリーズMVPのトロフィー(ウィリー・メイズ・アワード)を手渡された山本由伸は、インタビューで真っ先に師の名前を口にした。
「この賞は僕一人のものじゃありません。何年も練習してきた体のおかげで、今日も投げられました。矢田修という方が、どれだけすごいトレーナーか、今日、証明できたと思います」
自らの栄光を、自分以上に師に捧げる言葉だった。
その言葉を伝え聞いた矢田氏は、インタビュアーの前で首を横に振り、いつものように謙遜した。
「ただのサービスですよ。すべては彼の努力です。僕は何もしていません」
しかし、隣にいたドジャース関係者は、矢田氏の目尻が赤く潤んでいたのを見逃さなかった。矢田氏は続けた。
「彼が他のアスリートより優れているのは、その純粋さと素直さ。それに尽きます。60過ぎたおじいちゃんの言うことにも、真摯に耳を傾けてくれる。…本当によくできた、孫ですよ」
満面の笑みを浮かべた師匠。
優勝決定後のフィールドで、チャンピオンTシャツを着て歓喜する「孫」を静かに見守りながら、矢田氏はすでに次を見ていた。
「皆さん、驚くかもしれないけど、彼はまだまだ発展途上なんです。来シーズンには、もっと『大』きな、とんでもないボールが完成すると思いますよ」
山本由伸もまた、師匠の言葉に応えるように語った。
「僕はまだまだ良くなれると思います。これからも矢田先生と一緒に、もっとうまく、強くなりたい」
常識を覆し、世界の頂点に立った師弟。だが、彼らにとって2025年のワールドシリーズ連覇とMVPは、ゴールではない。二人で歩んできた「身体の探求」という長い旅の、一つの通過点に過ぎない。
「今日も良い一日でありますように。子供の頃の心を忘れず、夢を追い続けよう。」
矢田修氏が綴るその言葉は、そのまま、常識という名の壁に挑み続ける、すべての者へのエールでもある。彼らの挑戦は、まだ始まったばかりだ。
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